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PJ: 平藤 清刀

街の姿は変わっても、あの日の記憶はいつまでも――
2012年01月19日 22:32 JST


上:95年3月のJR新長田駅周辺 下:現在の長田区水笠通。街並みが真新しい。(撮影:平藤清刀、1月16日) 

【PJニュース 2012年1月19日】JR新長田駅の北西方向、水笠通と呼ばれる地域を歩いてみた。17年前、阪神淡路大震災の取材で訪れたとき、このあたり一帯は一面の焼け野原になっていた。その凄まじい光景に息をのみ、焼け焦げたビルや、跡形もなく燃え尽きた町の惨状を夢中で撮影した。

今年、その場所を17年ぶりに訪れてみた。新長田駅を出て、あの時の場所へ向かう。街並みが全体に真新しいのは、建物のほとんどが震災後に建てられた「築17年以内」だからである。

あのとき撮影した写真の中に、印象深い1枚がある。自動車のディーラーが入っていたビルなのだろう。屋上に巨大な看板が残っている。ビルは倒壊を免れたものの、猛火に焼かれて真っ黒焦げだ。看板だけがほぼ完全な形で残っているのが不思議なくらいである。

このビルはどのあたりに建っていたのだろうか。当時の記憶を頼りに位置を割り出そうと試みたが、もはや訪ね当てることはかなわなかった。たまたま通りかかった交番で聞いてみることにした。警察官はおらず、警察官を定年になった後、警察官に替わって案内などを行うために交番に配置されている相談員が1人いた。若い警察官より当時のことを知っているかもしれない。

「街並みが完全に変わってしもたからなあ」と、相談員は視線を遠くへやり、記憶の糸を手繰っているようだ。現職時代にはこの街をよく巡回していたというが、やはり分からないという。17年という月日は、それほど長いのか。

そうかと思えば、お昼に入ったカレーショップでは、震災の揺れで倒れた冷蔵庫をそのまま使い続けていた。倒れた時についたという傷をあえて修理することなく、「あのときを忘れないように」と、そのままにしてあるのだと女将は言った。

一見復興したように見える長田の住宅街には、まるで歯が抜けたように更地が点在している。住まないのか、それとも住めないのか、住む人がいなくなってしまったのか、事情は分からない。が、私の目には、それがいまだ癒えていない「街の傷跡」に見えた。【了】

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PJ 記者